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S-60 57mm対空機関砲()もしくは57mm AZP S-60は、第二次世界大戦後にソビエト連邦が開発した短-中距離防空用の牽引式対空機関砲であり、東欧、中東、東アジアの50カ国以上で使用された。 AZPとはロシア語「Автоматическая зенитная пушка」の頭文字であり、英語表記すると「Automatic anti-aircraft(対空機関砲)」となる。 == 概要 == S-60は1940年代後半に既存の37mm高射機関砲を代替するために開発が開始され、同一の口径を持つ3つの試作型の中からV.G.グラヴィンによるものが採用された。これは西側諸国の情報では鹵獲したドイツの試作対空砲である5,5 cm Gerät 58や5 cm FlaK 41の影響を受けたと言われている。そしてこの試作型は1946年から試験を受け、いくつかの簡単な改良の後に57mm AZP S-60として1950年には制式化された。 S-60はPUAZO-5射撃統制装置及びSON-4レーダーの組み合わせによって半自動的な交戦能力を実現しており、そして後に改良型のPUAZO-6/60射撃統制装置及びSON-9またはSON-9Aレーダーも導入された。レーダー兼照準算定機の機能を持つフラップホイール・レーダーを装備することもあり、これは後にECM環境下でも使用できるローライト・テレビカメラと敵味方識別装置に更新された。射撃統制装置とレーダーは、発電機やケーブル分配箱等とともに中隊に1セット単位で配属されていた〔#ソ連地上軍 P.240-242〕。これらの装置はウラル-375トラックによって牽引される。また当然ながら各砲は光学照準装置も備えており、レーダー照準射撃と比べて射程は落ちるもののそれらの装備に頼ることなく対空戦闘を行うことも可能となっている。 そして当初の予定通り1950年代中に37mm高射機関砲を代替したS-60は師団隷下の高射砲兵連隊に配備された。当時の高射砲兵連隊は2個高射砲兵中隊で構成されており、各中隊には6門のS-60が配備されていた。またソ連防空軍の高射部隊においてS-60を装備する各連隊は4個中隊で構成されていた。高射砲兵連隊にはフラットフェース・レーダーと敵味方識別装置が配備されていて、発見した敵機情報をS-60中隊の射撃統制装置に送信して目標捕捉の初期情報として利用することができた〔。 しかし1960年代中頃のソ連地上軍における師団防空部隊はその装備を高射機関砲から地対空ミサイルへと変更し始めたため、S-60は1970年代には退役することとなったものの、諸外国では継続して使用された。 射撃統制装置の能力としては最大8門までのS-60を接続することが可能で、実際に北ベトナム軍では8門で1中隊とした対空陣地を構築したことが確認されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「S-60 57mm対空機関砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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